意思決定と快感情

何を基準にして、行動するべきか?

どんな評価関数を用いて、何の値を最大化させるように、行動するべきか?

 

快感情か?

全ての感情はArousalとValenceの二軸にマッピング可能だと聞いたことがあるが。

自己の経験する快感を最大化するように努めるべきなのか?

すぐに手に入りそうな目先の快感を優先して、後々得ることができたであろう快感を犠牲にするというのは、多くの人間が日常的に経験する場面だろう。人間は、高度な想像力と論理的思考能力を持っており、目先の快感を少し犠牲にすることで、将来得られる快感をずっと大きくできそうだという推論ができる。しかし、実際に目先の快感を捨て、長い期間で経験するであろう快感情の総量を最大化する方向に行動を選択することは、なかなか簡単ではないことを多くの人間は経験するようだ。

そもそも、快・不快は興奮・平静の次くらいに原始的な心理状態ではなかったっけ。中学のときの家庭科か保健体育の教科書の発達の解説部分に載っていた気がする。きっと脊椎動物なら、割と原始的なものでも(魚とか?)快を感じるのではないだろうか。というか、快感情なしで、生物の生存戦略に関わるような学習をさせる方法はちょっと思いつかない。学習できる動物(虫とか)でも、単純で低次元な快感に似た感情は感じるだろう。たぶん。

そして、快感は短期間の行動を決定するための報酬として進化してきたのだろうし、それを、長期間の行動戦略の決定に使い回すことはしなかったんだなあ。というか、いつ死ぬか分からない野生動物に、現在の人間の人生に効く長期間(10年単位?)の行動戦略なんか進化しないか。

 

しかし、自己の経験する快を最大にして、不快を最小にするという行動指針は、不快と向き合ううえで、結構つらい。つらい思いと向き合わなければならないから、つらい。つらいのがつらいという妙な構図だが。

つらいを減らしたくて、つらいから逃げる方法として、自己から離れるというのがある。自分をできるだけ客観視することに努めるというものである。自分を、プレイヤーとキャラクターに分けて、ロールプレイングゲームをしているような感覚に迫ろうとする。基本的に、世界で行動し、人々と会話し、不快を経験するのはキャラクターである。プレイヤーは、それを俯瞰し、キャラクターに命令を出して、行動させる。自分を非常に客観的に見られるし、ゲーム感覚なので割とリスキーで大胆な選択をできるし、何よりプレイヤー本人は一切つらい思いをしないで済む。

しかし、この場合、プレイヤーはどういう指針でキャラクターを操作すればよいのであろうか?プレイヤーの快の最大化か?プレイヤーの快ってなんだ?キャラクターの快がプレイヤーの快か?だとすると、プレイヤーはキャラクターが受ける不快も経験することだろう。どうしたらいい?キャラクターの快だけ受け取って、不快は受け取りたくないのだけれど。

でもこの望み通りにならない方がいいか?なんか整理が着かないが、まったく傷つかないヤバいやつになりそうだ。ある意味二重人格の、なんかの病気に該当しそう。

実際はしっかり傷ついても、傷ついた分が実際の行動に影響しないような演技力と精神力があればそれでいいのかもしれない。いや、それが死ぬほど高度なスキルなんだけれども。少なくとも僕にとっては。

つまり、自分の受けた快や不快と関係なく、推論によって、将来のある程度の長期間で経験する快を最大化するように、冷静に計算して、平然と演技力を行使して行動するのがベストだということか?