匿名の社会性

本当は、論文を書くことにあてた方がいいこの時間を、

この文章を書くことにあてている。

 

どうせ私は匿名でこの文章を書きたいと思っているので、自分の思考を何でも書けるわけではない。

だから思考の整理と銘打ちつつも、

深く緻密な思考というものは、こういう匿名的態度によっていくらか妨げられるのだろう。

もちろん、実名でも匿名の場合と違った制限が発生するだろう。

匿名の場合は、自分の情報に関連しそうなことを書けない、ただし社会的立場や人目を気にせずに好きな意見や思想は書けそうである(実名の場合はこの逆)。

このブログを通じて知り合いができてしまったら、このデメリットは残したままメリットは薄れていきそうだが。

 

つまり、人に媚びず、嫌われることや馬鹿にされることを一切恐れず、自分の意見や思想を堂々と発信する実名が最強である。当たり前だな。そういうタイプが一番信頼できるだろう。ただ私はそういう人と仲良くできる自信がない。私自身、逆の人間だし、仲良くできそうなのも、逆の、つまり、人目を気にして、うまく空気を読んで各人の不快感が最小限になるように(おかげで全体の利益も最小限になりがちである、多分(ここは後日掘り返したい))場を上手に運んでくれる人間(私の上位互換)である。

 

そういえば、公開することのメリットに少し気づいた。

アップロードしないと、私は文章にしない。箇条書きにしてしまうのだ。

箇条書きの文の集合ならいい方で、

往々にして、単語の断片の羅列程度でしかない場合が多いことが、

昔の自分用メモを見返して分かった。

単語しか書かれていないと、後で見返したとき、何のことかさっぱり分からない場合がよくある。

メモした当時は、この単語だけ書いておけば、思い出せると思ったのだろうに。

単語を見て思い出せないなら、その程度のアイディアだったと

無意識に自分を納得させていたような気がするが、

これは結局メモの機能をほとんど放棄しているし、昔のアイディアを醸成して再生したいという私の魂胆がほとんど実現できなかったのも、無理はなさそうだ。

 

しかし、匿名なのに、人の目を気にして

なるべく誤りのないきちんとした文章を書こうという気持ちになるんだなあ。

これについても、後日もう一度詳しく書きたい。

 

また、こんなことに時間を使ってもいられないので、

早書きの練習にもなりそうだ。

文章を早く組み立てることは、難しいとしばしば思う。

 

さらに、ここにはほとんどネガティブなことしか書いていないが、

書くことで少しすっきりするに気づいた。

これが最大のメリットかもしれない。

私の上長も「僕がブログを書いたら愚痴だらけになってしまうから書かない」と言っていたが、それでいいんですよと言ってみよう。

 

こういう効用(アウトプットってだいじ!思考の整理!書くことでスッキリ!)は、情報としてはよく知っていたけども、なぜか実践しようと全く思わなかった。そういう発想がなかった。なんでだろうね。

 

今後、書きたいことがたくさんある。いままで一切なかったのに、ひとたび書き出すと、湧き出てくる(もはやこれについても書きたいし)。

上に挙げた後日書きたいものたち以外だと、

たとえば、私が心の中で(時には同類の友人たちと)馬鹿にしてきた、

私よりずっと優秀で素敵な(皮肉ではなく)ひとたち(大量の時間を消費してブログを書いている人達とか)について書きたい。

 

さて、括弧が多すぎるのは文章力の問題だろうか(そういうことにしたい)